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六角堂御参籠 雲母坂お通い

 

 親鸞聖人は九才の春より二十九才の春まで比叡山でご研学を重ねご修行をつまれましたが、もはや自分の求めている解答を得ることはできないと考えていました。
 「阿弥陀如来はその本願をもって、どのような生業をなす人でも必ず救って往生させると約束している。しかし、魚や獣などの殺生をなす者や商人・女性・聖などはその前生の悪行ゆえに往生できないとされている。その上、阿弥陀如来を拝することさえ拒絶され一段低い聖徳太子への信仰が許されているだけである。これはどこかで信仰の本質が見失われてしまったからではないか。」
 ついに、聖人は救いを求めるために正月早々より百日間、六角堂に参籠し如意輪観音にご祈祷されることを決意されたのでした。そして比叡山より六角堂まで三里十八丁もの距離を毎夜、雲母坂という険しい山道をとおり往復されました。この雲母坂はその険しさゆえ、昼でさえも行き悩むところでありましたが、聖人は夜中寒風吹きすさぶ中、どのような天候であっても一日も休まず通われたのでありました。
 弟子の正全房が聖人が毎夜山を抜け出ることを不信に思いあとをつけて行きましたが、雲母坂の雪を血潮に染め、蔦をたどり必死の思いで六角堂に向かわれる聖人のお姿に驚くとともに涙ながらに拝まずにはいられませんでした。