日野左衛門尉頼秋は常陸の国(茨城県)に流刑になり、その後自由の身となっても故郷には帰らず金貸しをしてそこに居を構えていました。
左衛門は生来の人間不信で、また流罪後それは一層強まり「信じられるものは銭しかない。」とうそぶくようになっていました。
ある年の晩秋、左衛門は借金の取立てに廻りましたが、逆にことごとく延済を申し込まれたことに腹を立て夕刻からやけ酒をあおっていました。外はいつの間にか冷え込んで雪になっています。そんな左衛門が女房に当り散らしているところに、布教途中の親鸞聖人が一夜の宿を求められましたが、すさんだ心の左衛門は言下に断ったのでありました。やむなく聖人は軒先で夜を明かすことにしました。聖人は門前の石を枕として横になりましたが、雪は次第に吹雪となって全身を包みます。親鸞聖人は身体を横たえながら念仏を繰り返し唱えました。
夜半、左衛門の夢枕に観音菩薩が現れ「左衛門、なんじ知らずや、いま門前に阿弥陀如来が泊まらせたまうぞ。早く教化をこおむるべし。この機を逃せばなんじは未来永劫、苦海をのがれられぬぞ。」と告げられました。このお告げに驚いた左衛門はとびおきて家を出てみました。するとそこに映るのは吹雪のなか一心に念仏を唱える親鸞聖人のお姿でした。
あわてた左衛門は平身低頭無礼を詫び、親鸞聖人を家へ迎え入れこれまでの悪行をすべて告白しました。親鸞聖人は「私たちは悪いことばかりしています。人を憎み呪いもします。だが、汚れきった心であっても信じる心だけは誰にでもあるもの。その心こそが永遠にかがやく仏の光なのです。」とねんごろに御仏のご慈悲をお話になりました。大慈大悲の阿弥陀仏の本願を知らされた左衛門はその夜のうちに親鸞聖人のお弟子となり、法名を入西房道円と名付けていただきました。
その後道円は念仏道場を開き、石を枕に念仏する親鸞の姿を重ねそこを枕石寺と名付けました。