御田植

 

 稲田の草庵を拠点に関東一円の布教にあたっていた親鸞聖人はあるとき、大部の平太郎という篤信家に招かれ大部郷に念仏布教の足を伸ばしました。しかし季節柄、みな田植えに勤しみ聞法道場まで出かける時をも惜しみます。
 親鸞聖人は村人たちの田植え風景を見て平太郎にこう呟きました。
 「田植えをする人々の間に、一遍の念仏の声もないのは残念なことだ。難儀な仕事に明け暮れる毎日ではあろうが、今生の名利にとらわれ、未来の大事に気がついておられぬようだ。このままでは悪人として、一生をいたずらに過ごすばかりであろう。」
 そして衣の裾をあげ「弥陀の大悲に報謝するために、私も田植えに加えてもらい、念仏の楽しさを伝えてみたい。」と泥田に入っていかれました。
 「さあ、私の唄う歌についてきなさい。さすれば田植えが楽しく、またはかどるであろう。」

五劫思惟の苗代に  兆載永劫のしろをして
一念帰命のたねをおろし  自力雑行の草を取り
念々相続の水を流し  往生の秋になりぬれば
このみとるこそうれしけれ
南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

 聖人の朗々とした力強い声が水田に響き渡ります。すると、はじめ戸惑いをみせていた村人たちもいつしかその声に魅了され、声をそろえて唄いだしました。
 聖人はともに田植えをされながら、この歌のいわれ、阿弥陀仏のお慈悲をねんごろに説かれたのでありました。