勢力を強める吉水の法然門下に対し危機感をもった他宗派は、興福寺を代表として朝廷に対し吉水教団の撲滅を願い出ました。そのため御所では念仏停止の是非を論ずる評議が行われることになりました。
そのころ、法然上人の弟子、住蓮と安楽は鹿ケ谷の草庵において六時礼賛による声明念仏という御法事を営み、御仏の功徳を人々に説いておられました。ことに、二人の声は先を急ぐ人も思わず足を止め聞き入ってしまうほどであり、そこを通りかかった院御所女房の鈴虫と松虫も深い感動をおぼえたのでありました。
以後、機会を見つけては聞法に通うようになった鈴虫と松虫は、後鳥羽上皇が留守のある晩ひそかに御所を抜け出し鹿ケ谷の声明念仏に結縁しました。安楽らの説法と声明に心をゆさぶられた二人は憂き身をやつす我が身を思い、弥陀の本願に救われるという事実にふれ、発心して尼となったのです。
このことを知った上皇は烈火のごとく怒り、興福寺の訴えを取り上げ念仏停止の裁断を下しました。